数分の手間。
これ、良い意味でも悪い意味でも、かなり大事だと思っています。
「数分の手間」を惜しまない人ほど、時間的感覚がなく、仕事が遅い人が多いし、
「数分の手間」を惜しむ人ほど、提案やその資料がよくわからなかったりする人が多い。
数分の手間を舐めてかかると、痛い目を見るのです。
安全側の作業は、経済的・時間的コストとの見合いで決める
「安全側」という言葉があります。
安全側を見て、万全の対策を。
安全側を見て、万全の準備を。
と仕切りに慎重に愚直に安全側をみる人がいます。
何なのでしょうか?耐震基準とか、だいぶ安全側でみてるところがあるので、安全側を見るのは建築業界の特徴なのかな?
まあ、そこらへんはよくわかりませんが、何でもかんでも安全側を見りゃいいってもんではないと思ってます。
まず安全側をみることで、経済的にもその分コストがかかります。耐震基準の例でいくと、安全側でみる分、建築資材を多く使うことになるし、品質の高い部材を多く使うことになるでしょう。その分コストかかりますよね?
そのコストとその安全側の対策は見合うか、考える必要があります。
まあ、耐震基準は適合させないといけないんだけどね。当たり前に。
そして、この記事のタイトルである「数分の手間」。
つまり時間的コストとその安全側をみることによって得られる効果が見合っているか考える人は意外といません。
数分の手間くらい惜しむなって?
その手間を惜しまないから、日本は残業ばかりなんだと、ぼくは思っています。
1分1秒でも、自分の、チームの効率化をはかる意識がないと、いつまで経ってもライフワークバランスなんて実現するわけないのです。ちょっと聞いてますか?ライフワークバランスを声だかに叫んでいる人!
安全側をみることで、作業が10分増えます。その分リスクが1%減ります。
これよりちょっとゆるい基準とすることで、10分の作業は増えます。その分リスクは1%高まります。(高まるというか、現状と変わらないというか)
その1%のリスクを下げるために作業10分増やしますか?どうなんですか?ってことです。
もちろん、増やした方がいいこともあるでしょう。
ただ、安易に「10分程度の手間だったら、惜しまずに安全側で1%のリスク減らそうよ。」と考えるも違うと思うのです。
数分の手間を惜しむと、それだけで提案が通らなくなる
逆のこと言います。
数分の手間を惜しんでいると、それだけで損することがある場合があります。
ぼくの経験上、提案資料づくりにおいては、数分の手間は惜しむべからずだと考えています。
10分。
あと、10分の手間を加えるだけで、だいぶ違うのになーと思う資料をよく目にすることがあります。
たとえば、それはフォントに統一感がなかったり、画像のレイアウトがてんでバラバラだったり、そういう些細なことなのですが、こういう数分の手間をかければ、すぐ直るようなことを直さない輩が結構います。
「とりあえず、粗粗ですが。。。」
と、言って資料をつくる人に限って、「とりあえず、粗粗」の状態から進歩するところを見たことがありません。
近代建築界の三代巨匠であるミース・ファン・デル・ローエの言葉で、「神は細部に宿る」と言う言葉があります。
上述のような、フォントの統一感とか、レイアウトとか、一見くそ細かいところなのですが、そういうところに「おやっ?」と思わせるような、相手に気にさせてしまうような、取りこぼしがあると、本当に伝えたい提案内容が相手に100%で伝えられなかったりします。そして、提案が通らないなんてことも無きにしも非ずです。
そういう意味で、このような場合は「数分の手間」を惜しんではいけないと考えています。
ただし、これもケースバイケースです。
大して大事でもない、会議の資料だったり、イメージを共有するだけのものだったり、する場合は「数分の手間」を惜しむときのこともあります。
「数分の手間」は奥が深い
たかが、数分の手間
されど、数分の手間
なんですね。
数分の手間だからと言って、安易に手間を引き受けるのも違うし、
数分の手間くらい、かけてもかけなくてもそんな変わんないよと思うのも違う。
そこの判断が色々と経験をつむことで明確にできるようになることが大事です。
ただ、これは意識していないと決してできないことだと思っています。
★★★★★
皆さんも「数分の手間」について考えてみましょう!
やった方がいい「数分の手間」もあれば、これやらなくていいんじゃね?的な「数分の手間」もあるでしょう。
そんな感じ!
おしまいっ!