ものまちぐらし

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設計事務所で働く、都市計画コンサルタント兼一級建築士。まちづくりのことや激務の中でのちょっとした生活の楽しみについて書いてます。

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「うんこ」と「カス」はどちらが悪口として酷いか?友人とのしょーもない議論から考えたディスカッションにおいて大事なこと。

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この前、高校時代の友達と飲んだ時に高校時代に交わした議論の記憶を掘り起こして、あまりにもその議論がしょーもなさすぎたので、ブログにアップしてみます。

しょーもないなら、アップすんなよ?っていうね。

ただ、ちょっとこのしょーもない議論から考えることがあったのです。



時は高校時代に遡る。


高校の時の部活中、あれは守備練習をしている時だった。


タイトルにあるように「うんこ」と「カス」どちらが「悪口としてひどいか?」
というこれまたホントにしょーもないトピックについて、当時のぼくと友人は熱い議論を交わしていたのだ。

 

いや、ホント高校時代のぼく、野球練習しろよって感じですよね。

この議論はお互い、相手を「うんこ」、「カス」と罵ったことから端を発する。

ちなみに今回はぼくが「うんこ」と罵られたのでぼくは「うんこの方がカスより酷くはない、よってカスと罵られたお前の方がやばい奴だ!派」

そして、友達はぼくに「カス」と罵倒されたので「カスの方がまだマシ。うんこと罵られたお前の方がやばいよ!派」だった。

なお今回は「うんこ」という単語をリピートしてしまうがご了承願いたい。

けれども、一見この不真面目極まりないしょうもない議論を通して、真面目にいろいろと考えたので、最後まで読んでいただけると幸いです。最後まで読めば、真面目なこと書いてるから!

ただ不快になられそうな場合はそっと右上の×を押して頂ければと思います。

 

 

「うんこの方がまだマシな派」の僕の意見 その1

まず人の排出物だからね。生理現象だからね。

もはやこれは悪口としても認められないんじゃないかな?

うんこっていえばもはやギャグ漫画の定番!

みんなの人気者だしね。やっぱ何だかんだで愛されている存在だよね。

抱かれたくない芸能人不動の1位の出川さんも何だかんだ愛されてるしね。

女の子が大嫌いな江頭2:50も俺大好きだしね。

うんこってきっとみんなにとってそんな存在でしょ?

逆にカスって何だよww?

もうなんかホントダメみたいじゃんwwなんか役立ってんの?

 

 

「カスの方がまだマシな派」の友達の意見 その1

うんこってまず汚いよね。不快だよね。

人を不快にさせることこの上ないよね。

トイレでうんこを流れてないのを見た時とかマジねぇわって感じだし。

やっぱうんこは害があるもん。臭いし。

一方カスはどうか?

気にならないもんね。別にそこらへんにカスがあっても不快にならないだろ?

むしろ気がつかないくらいだしね。気づいてもささっと掃除機で吸えるしね。

そう、カスは害がない!うん。もはやカスという言葉は悪口でもなんでもないよね

 

 

「うんこの方がまだマシな派」の僕の意見 その2

確かにトイレにうんこを見かけたら、大騒ぎになるよな。ただ、トイレにうんこを見かけたら、何だかんだでみんな喜んでるよね!


何か知らないけど、みんなしてうんこを拝めてから流してたよね?

やっぱ何だかんだでみんなうんこが好きなんだな。

あと、うんこって肥料にもなるよね!

めちゃくちゃ有益だよね。

江戸時代には、人糞は貴重な農作物の肥料になってたし、売り買いもされていたしね。お金にもなったんだよ?

もう欠かせない存在だよね。

みんな欲しくて仕方なかったらしいからね。

一方カスってwwwいや~欲しくねぇ!

うんこは欲しいって言う人はいたけど

カスは過去から現在にかけて欲しいとか言った人いねぇよwww

 

 

「カスの方がまだマシな派」の友達の意見 その2

いや、もうこの際言うけど、お前はうんこをその掌に乗せることができますか?

できないだろ?

カスはどうか?掌にのせることが・・・・・うん、できるよね!

うんこと言われた奴はつまりは触りたくないような奴なんだよ!

むしろ、見たくもないよな!

カスは触ることも、見ることも可能だ。

だって、あっても別に気にならないもん。

カスって言うのはつまり±0ってことだよね。

うんこは、人によって―に成り得る・・・そんな存在なんだよ!

 

 

「うんこの方がまだマシな派」の僕の意見 その3

待て待て。人間の評価にとって、何が1番きついかって、「無関心」だよね。人に全く関心を持たれない奴っていう。


さっきから聞いているとカスってのは誰にも気づかれないような存在なんだろ?プラスにもマイナスにもならない、箸にも棒にもかからない、そんな存在なんだろ?

うんこは好きも嫌いも、相手に爪痕を残すことができる!

圧倒的なギャグ要素を持ち合わせている!

そう!つまり圧倒的な攻撃力を兼ね備えた存在なんだ!

それはもちろん時として、弱点に成り得るかもしれない。不快かもしれない。。。

カスとして生きれば確かに、誰にも害なく過ごしていけるかもしれない。

けど、俺はそんな消極的な生き方・・・・・したくない!!

 

 

「カスの方がまだマシな派」の友達の意見 その3

俺は安定を求めるね。


うんこはな、諸刃の剣なんだよ!

確かにうんこは高い攻撃力を持ち合わせているかもしれない。

けど最終的には高い守備力を持ち合わせている方が勝つんだよ!!

野球もそうだろ?野村監督もそう言っとるわ!!

野球で強いチームはすべからく、守備がしっかりしているチーム、投手力が強いチームなんだよね。打撃力だけで優勝するチームなんて過去見渡しても割合的に少ないよね。

 

 

「うんこの方がまだマシな派」の僕の意見 その4

もう、うっさいわ!

カス!!

 

 

「カスの方がまだマシな派」の友達の意見 その4

黙れ!

うんこ!!




カキーン!

監督「おい!お前ら、何ヘラヘラ話してんだよ!集中しろぉぉおおお!!」



★★★

10年以上も前のこんなしょーもないことを覚えていたのに、だれとだれが付き合っててとか、友人がだれのことを好きだったのかとかは何も覚えてなかった。


このアホみたいな議論をしたのが、確か高校1年の時。

 

よくも、まあお互い議論の内容を覚えてましたよ。もちろん記憶によって脚色されている部分もあるかもしれない。

 

けど、あの時のぼくらは、あの青空の下で、白球を追いかけることなく、「うんこ」と「カス」はどちらが優れているか?どちらが悪口としてインパクトがあるか?真剣に話し合っていたんですよ。

いや、白球追えよって感じだけども。

 

んで、ここからですよ。マジメな話。

 

子どもの頃にするしょーもない議論って大人になっても役立つ

議論のテーマや話している知識の浅さはそりゃまあ置いておいて、高1の割にはそれなりにディスカッションできていたなーといま、思い出すと思うんです。

こういう子どもの頃にするしょーもない議論ってのは、割と大人になるまでたくさんやっておくことで、ある程度大人になった時に生きてくるのかなーと思ったり。

 

なんていうか、ぼくは中学生や高校生の頃は、この「うんこ」と「カス」の議論以外も、たくさんのしょーもない議論をしてきたんです。

中2的な「宇宙ってなんでできたんだろう」って話や「マンガの伏線や今後の展開予想」、「なんであいつのことがこんなにもムカつくんだろう」って話、ことあるごとに友達と議論してきました。

 

だからなのか、人と何かについて議論を交わすってことにそこまで抵抗がないんですよね。むしろ好き?

 

なので、就活でもグループディスカッションなんかで落ちることは全くなかったし、仕事をはじめた今も相手との議論で「全く納得言ってないけど、なんて言えば良いかわからない」みたいな状態は少なくともおきないんですよね。「こいつに何言っても無駄だ」ってことで諦めたり、議論している中で「自分が間違ってたな」ってことで相手の意見を受け入れたりすることはあっても、「なんて言えば良いかわからん」ってのはない。

 

けど、就活でいろいろな学生を見ていて思ったんだけど、結構「なんて言えば良いかわからん」状態の人って割といるんですよね。グループの人数にもよるけど、半数はそんな感じの人がいることもしばしば。

 

これって、学生時代にしょーもない議論を、屁理屈・理屈つけながら、今おもうと稚拙ではあるけれども、続けてきたことがひとつの効果として現れているんじゃないかなーと思ったんです。

 

 

議論に厚みを持たすにはやっぱりそれにまつわる知識が必要

上述の「うんこ」と「カス」の議論はどっちもどっちですが、なんか「うんこ」ってのはそんなに悪いもんではないっぽいぞ?と思わせられたのは、「うんこの方がまだマシ派」のぼくの意見だと思うんです。

 

これ、決して自画自賛をしているわけではなく、「うんこ派」のぼくの意見には、それを後押ししてくれる知識が多分に含まれているわけです。いや「多分」ではないか。

 

たとえば、「江戸時代には人糞は肥料として重宝していた」という知識。

 

たとえば、「好きの反対は無関心」という知識。(というか、考え方?)

 

こういう知識があることで、ぼくの意見は厚みを持つわけです。いや上述の意見に厚みがあるかは置いといて、「カス」の意見と比べると「厚み」はあると思うわけです。

 

このことから、あぁ、やっぱり議論において知識って重要だなーと思うんですよね。

 

 

知識がなければ、共感を呼べ!

一方で、友人は「カス」に対して何も知識がない。てか「カス」の定義って何?とか理系っぽいことを今になってみると思ってしまうのだけど、とにかく友人には「カス」を後押ししてくれたり、補強してくれたりする知識はなかった。

 

そこで、友人が活用した手法がストーリーを駆使したり、人の想像力を喚起させたりして、共感を呼ぼうとしたんです。にくいね〜友人。

 

たとえば、「学校のトイレにうんこが流れていなかった」という誰でも経験のあるストーリー

 

たとえば、「うんこは手に載せたくないが、カスなら載せられる」と人が容易に想像しやすい発言。

 

知識がなければ、こういう手法をつかって共感を与えるってこともディスカッションの手法として有用なんだなーと思うんですよね。

 

ちょうど、ぼくは理系で、友人が文系だったので、なんとなく理屈っぽいこと言っている理系のぼくと比較的感情的なことを喋ってる文系の友人できっちり分かれているなーって感じるのもこの議論を思い出しておもしろかったところ。

 

「うんこ」と「カス」なんてところから、こんなマジメな話になってしまいましたよ。

 

いや、でもしょーもなくても良いから、誰かと何かについて議論を交わすってのは、頭の体操にもなって良いことだなーと改めて感じたんですよ。

 

おしまい1