世界的デザイナーの佐藤オオキの思考を垣間見ることができる、この本。オススメです。
で、この佐藤オオキの思考方法。めっちゃ地域再生を考えるうえで示唆に富んでいるなーと思ったので、とくに気になった思考方法をまとめます。
「制約」を少しずつ落として選択肢を増やす
たとえば、制約が10個あったら順番に1個ずつ落として、まず9通りにします。1番を落としてみて、2から10を大事にして考えてみる。次は2番を落としてみて、1と3から10は大事にしてシミュレートしてみる。そうやって考えていって、アイディアをどんどん出していくんです。・・・(中略)・・・結果、1個落とすだけでこんなにいけるのなら、この条件を落としても成り立つんじゃないか、など当初は思ってもいなかった解決策が生まれます。
出典:問題解決ラボ
地域においても、さまざまな解決しないとならない課題が山のようにあります。
そこで、それらの課題を一手に解決しようとすることをやったり、または縦割りのようにひとつずつ個別に解決を図ろうとしたりします。
前者のようにやろうとすると、「多世代がなんでもできるコミュニティスペース」をつくるみたいな、結局何がやりたいかよくわからないものになっちゃう。
こういうスペースは基本いろいろな人の意見を聞いてしまい、子育て世帯に関わる課題や高齢者に関わる課題などを一手に解決しようとして、できてしまったんだろうと思います。けど、この空間ではきっと何も解決しない。
一方で、後者の個別に解決を図ろうとするもの。これはこれで、良いんですが、今あるサービス以上のものが生まれにくいんですよね。
子育てママが買い物しやすいような一時預かりの場、働きやすい延長保育がしやすい保育園とか、高齢者の見守り活動、日中高齢者を預かりリハビリもできる場(デイサービス)とか、もはやすでにやりつくされている解決策しか思いつかない。
そこで、佐藤オオキの思考方法です。
1から10をやろうとしてもダメ(課題を一手に解決型)、1だけをやろうとしてもダメ(個別解決型)であれば、1と2の組み合わせは?2と5の組み合わせは?という風に物事を考えることで、新たな課題の解決手法が思い浮かぶのではないか?と思うわけです。
たとえば、高齢者のデイサービスの場の一部を小学校低学年の放課後の居場所(学童)にするとか、高齢者の健康に配慮した給食サービスで出している食事をアレンジして、健康志向の女性向けのカフェを展開するとか、これまでとは一味違う解決方法が思い浮かぶのではないでしょうか。
また、先に挙げた多世代が使えるコミュニティスペースにしたって、この思考方法は使えますよ。
こういうコミュニティスペースをつくろうとすると、子育てママのためにオムツ替えのスペースつくらないと!とか、女性が入りやすい位置にトイレを移動しないと!とか、高齢者も来るんだから段差なくして、手すりつけないと!とか、車椅子利用者が来るからスロープも設けないと!とか、、、挙げたらキリがないですが、こんなことを言い出すわけです。
けど、そんな1から10の要望を全部聞いていたら、空間としてどんどんつまらなくなるわけですよ。予算もそんな全ての要望を聞くほどあるわけでもないのです。
なので、
1と2だけの要望は聞いて、残りの予算は無垢材の床にする。
4と6の要望だけ聞いて、プロ並みのキッチンを入れる。
ってことに注力した方が魅力的な空間って絶対できると思うんです。
必要なのは、「半歩」前に出る感覚
「誰も見たことがないもの」は、「誰も求めていないもの」と紙一重。理想は「本来はそこにあるはずなのに、なぜかない」ものを「補充する」くらいの感覚です。
出典:問題解決ラボ
地域の人が望んでいることを紐解くと、実はそこにすでにあるのに、あれ?やってない!ってことがあるんですよね。ニーズはあるのに、何もやってないことが結構ある。
たとえば、豊かな森に囲まれている地域で、ここの公園でキャンプやBBQしたら面白いだろうなーと思っている人は実はたくさんいるけど、何もやってないみたいな。
この例では、管理者側(大抵行政)のリスクマネジメント上の問題だったりするんですが、たとえば、指定管理制度(平たくいえば、民間に管理を委譲することです)を使って、楽しい公園にすることだって、やろうとすれば可能なわけです。
このやろうとする、佐藤オオキ風にいえば「半歩」前に出ることができると、まちはきっと楽しいものになるんです。
まちづくりにおいては、いろいろな関係主体がいるため、デザインのように簡単に「半歩」前に出ることは難しいですが、ただこの視点はずっと持っていたいものです。
「ムチャ振り」は課題発見のチャンス
ムチャ振りにはいくつか特徴があります。まず、ムチャだと思う時点で、勝手に決めてしまった「できないと思い込んでいること」に気づけます。そのような思い込みがあるから、はみ出している、という言葉が出てくるんです。
ムチャ振りをすべて期待ととらえて、その期待を1ミリでも越えることに集中すれば、今までとは違う目線で問題が見えてきます。
出典:問題解決ラボ
まちづくりをやっていると、時たま「このまちにディズニーランドをつくろう!」みたいなムチャ振りをする人がいるんです。いや、ここ住宅地だからできないよ、みたいな。
まあ、さすがに住宅地にディズニーランドは逆立ちしたって無理ですが、じゃあ無理ってことをこういう意見を言う人にわからせようとするのか?というとそれも違う気がします。
やるべきは、このディズニーランドが欲しいといった真意を汲み取り、代案を提示してあげることです。
無理なことを無理!で終わらせず、じゃあ何ができるか?ってことまで突き詰めていこうとするマインドは地域再生を考える上で重要です。
既視感も時には「武器」となる
人は皆、他の人とは違うものが欲しいんです。でも、結局はみんなと同じものを持つことによる安心感を捨て切れない生き物でもあります。目立ちたいけど、周囲から浮くのは気恥ずかしい。新しいものに憧れるけど、新しすぎるものは怖い。
この少々面倒くさい心理を汲み取れるかどうかは、デザインをするうえでとても重要で、新商品であってもどこかしら「懐かしさ」というか、「過去に経験したことがある」という安心感をさりげなく匂わせることがコツだと思っています。
出典:問題解決ラボ
この面倒くさい心理。本当によくわかります。ぼくもそう。
まちづくりにおいても、全国初!とか、他の地域に類を見ない提案は却下されることがほとんどです。
基本的に前例主義がどこの地域も多いのです。
で、だからと言って、ここでやってはいけないのは、前例をほぼそのままマネること。
前例の要素を取り入れつつ、新たな要素をちょっぴりエッセンスとして取り入れた提案だと、発注者に受け入られやすいですし、地元の人にも親しみを持ってもらいやすい。そういうもんです。
ルールをゆるやかに崩す
さまざまな課題を解決するに当たって重要なのが、その課題を正直にそのまま受け入れないこと。そもそもなぜその課題に至ったのか、「事の発端」を共有することで、糸口がいろいろと見えるからです。
つまり課題自体を再解釈し、ルール内だけでものごとを考えるのではなく、時には「ルール自体をゆるやかに崩す」必要があるのです。
出典:問題解決ラボ
「地域の課題」と言われるものが本当に地域の課題かどうか、疑ってみることは、地域再生を考えていく上で重要なことです。
たとえば、「高齢化が地域の課題なんです!だから若者を一刻も早く流入させなくては!」と一口に言っても、地域の高齢者を見ると実は、いろいろな活動をされている元気な高齢者が多かったりする。よくよく年齢分布を詳細に調べると、75歳以上の後期高齢者はあまりいなくて、65歳〜70歳くらいの元気な高齢者が多かったりする。なんてことがあります。(高齢化率は全人口に対する65歳以上の人口の割合なので、高齢化率が一見高く見えても、本当に対策が必要になってくる後期高齢者は実は少ないってことが往々にしてあります)
この場合、将来的に後期高齢者が爆発的に増えることが想定される一方で、このまちって実は元気な高齢者に住みやすいまちなのかもしれない。てか、もしかしたら、周りの豊かな自然環境や適度なレジャー、スポーツ施設があって、地域のコミュニティも活発で、実はずっと元気でいやすいまちなのかもしれない。若い人を入れていくことも大事だけど、このまちは実は元気な高齢者をターゲットにした理想的なシニアタウンをつくった方が面白いのでは?なんて発想になるかもしれません。
「高齢化=悪」、「子供が少ない=悪」という風なルール(固定観念)が世にはびこっているのですが、案外別の視点で見ると、「いや待てよ。それもひとつの魅力になり得るのでは?」と考えられるまちってきっとあるはずです。
このように、ルールに縛られずに一旦考えてみるということは地域再生を考えていく上で重要なんです。
★★★★★★★★★★★★★
さすが、佐藤オオキの思考方法。
デザイン以外にもいろいろと役に立ちそうな思考方法ばかりでした。
この本、買いですよ!
本日はここまで。
おしまい!