ものまちぐらし

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設計事務所で働く、都市計画コンサルタント兼一級建築士。まちづくりのことや激務の中でのちょっとした生活の楽しみについて書いてます。

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芸能人の不謹慎叩きから考えるまちづくりの住民参加の実情と課題

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熊本地震に対する芸能人の応援コメントに対する不適切叩き
 
こういうことに対していちいち芸能人を叩いては、悦に浸る人が一定数いることは最近色々なニュースやサイトでまとめられているところです。
 
 
 
こういう方々って、何なんですかね?
 
何だか、自分以外の人は基本的に悪いことを考えているんだとでも思い込んでいるのでしょうか?より正確に言うと、「自分より権力を持った人」をなぜ悪者扱いするのでしょうか?
 
やり方自体はまちがえたかもしれませんが、ああいう大震災があった後に応援コメントをするのは、基本的に善意の気持ちがあってのことなんじゃないのかな?と単純に考えてしまうのだけど。
 
 
それを
 
目立ちたいだけだ!
 
とか
 
震災に乗じて自分を売り込んでいる!
 
とか
 
よく考えるなーと。
 
 
 
こういうことしていると、結局不利益を被るのは、巡り巡って自分たちに返ってくるとおもいます。
 
 
要は、こういうことにいちいちクレームつけていると、
 
 
・世間的に自粛ムードが漂い、この時期にこの内容を放送すると不謹慎になるからといって、テレビも面白くなくなる
 
・芸能人のなかで、いろいろと被災者のことを応援したいけど、下手に支援すると自分に被害がくるから、支援者が減る
 
・芸能人が被災者への支援をアピールすることが、一種の一般人に対する啓発にもなっていたのに、それができづらくなり、一般人の支援者が減る
 
 
なんてことも考えられ、どんどん世の中がつまらなく、生きづらくなります。
すぐ人を悪者扱いする人は、こういう世の中を望んでいるのでしょうか?わからん。
 
それで、「最近のテレビや芸能人はつまらない」とかも言い出すんですよね。んーわからん。
 
 
 
んで、よくよく考えると、こういう「自分より権力を持った人は悪いこと考えているんだ病」通称、「お前らは悪い!」病に罹っている人って、まちづくりで住民の方々と関わっているなかで、一定程度、確かにいるなー、思い当たるなーって思います。
 
そして、そういう人たちがいることで、まちづくりでも、上述したテレビや芸能人がつまらなくなるジレンマみたいなものに落ちいっている場合があります。
 
 
 

まちづくりで地域と関わる中で見かける「お前らは悪い!」病に罹っている人たち

例えば、どっかの土地の開発をしようとして、住民説明会だったり、ワークショップみたいなことを開くとしましょう。
 
そうすると結構な割合で出てくるのが、「我々に意見を言わせるだけ、言わせて、好き勝手なことを裏でやっているんではないか?結局、我々の意見は何も反映されないのではないか?」といったご意見。
 
まあ、もちろんそれが1回ぽっきりの住民説明会だったら、その意見、というか心配はよくわかります。そういうこと考えるのも仕方がないと思う。
 
けど、何回も何回も住民説明会やワークショップして住民の皆さんと一緒に考えようとしているのに、懲りずに「お前らは悪いこと考えてんだろ!」って思っている人って少なからずいるんですよね。
 
ほんと、ポートランドの開発業者と住民の関わり方を一度見てみて欲しい。
 
ポートランドでは、住民もしっかりとまちづくりのことを法的なことまで勉強して、意見しますし、時には自分たちでリスクをとるような動きもしますよ。
 
ただ、もちろん、そういう不信感を与えてしまっている、開発業者側にも問題があります。
 
だけど、そうやって何回も何回もワークショップを開いているにも関わらず、住民の意見を全く聞かないなんて会社または行政は、ぼくは見たことがありません。
 
 
いや、楽したい。早くこの仕事終わらせたい。って考えている人はいると思いますよ。
 
けど、住民の意見なんて関係ねぇ。言わせるだけ言わせて、開発しちまえば、こっちのもんだ!なんて考えている悪徳事業者は、少なくとも名の通っている会社の中ではぼくは見たことがありません。
 
 
 
 

開発業者の人だってあなたと同じ人間です 

開発業者側の人は、会社の人間である前に一個人の人間です。
 
多くの方は、住民から出た要望を真摯に受け止めて、どうすればそれを実現できるか、実現できないにしても、どうすれば要望の中の真意を汲み取り、要望に近いことやそれ以上のことを実現できるか、多くの人はこういうことを考えていますよ?
 
 
 
会社で働くということは、悪いことを考えて、会社が儲かれば、他人がどうなっても知らん!なんて感じで働くわけではないでしょ?
 
もちろん会社の売上もかなり大事だし、それが足かせになることもあるけど、その制約の中で、いかに社会貢献していくかも大なり小なり考えている。
 
「お前ら、裏で良からぬことをやってるんだ!」って本気で思っている人は、そういう風に社会貢献の気持ちで働いたことがなかったのでしょうか?
 
 

 

「お前らは悪い!」病に罹っている人たちの特徴 

ぶっちゃけ、「お前ら、裏で悪いこと考えてんだろ!」って思うこと自体、そこまで悪いことではないです。ただ、「お前らは悪い!」病に罹っている方ってクレーマーである場合が結構あるんです。これが厄介。
 
中には、一旦理解してくれると物凄い頼りがいのある味方になってくれて、一緒になってまちづくりを進めてくれることもあるんですが、それはごく稀。
 
というか、そういう人は、もう少し生産性の高い批判をしてくれます。そりゃ、最もなことだとこちらも納得できるような批判。
 
ただ、単純に自分の中でその状況時々に応じて咀嚼せずに、一律にお前ら大企業は悪い奴らなんだ!的に物事を語る人って、基本否定姿勢なことが多いんですよね。何でも否定したがる。批判ではなく、否定。
 
 
 
 

否定姿勢が何をもたらすか?

で、そういう否定姿勢が何をもたらすか、というと、開発業者側のやる気を削いでいきます。開発業者も人間です。そんな否定ばかりの住民を相手にしていると、段々疲弊していきます。
 
 
 
先日テレビ番組で、どっかの旅館の若女将が「お客様は神様というのは古い」と言っていました。
 
で、その人が話していたエピソードで、些細なミスをして、いくら謝っても許してくれない客がいたそうです。謝っても謝っても許してくれないので、「どうすれば、ご納得いただけるでしょうか?」と聞いたら、「タダにしろ」と言ったそうです。
 
その若女将はその時こう思ったそうです。
 
「こんな客なら二度と来なくていい。旅館側も客を選ぶべきだ」と。
 
 
 
 
まちづくりにおいて、否定姿勢が染み付いている人もこんな感じ。
 
色々と案を示すも、否定ばかりで、「じゃあ、どうすれば良いのか?」と聞くと、「我々は素人だからお前らで案をもっと持ってこい」と言う。基本対案がなにもないんです。けど、否定はする。否定するくせ知識がなく、荒唐無稽なことを好き勝手言う。
 
じゃあ、こういう住民を排除するか?というと旅館の例みたいには割り切れないのが、公共性の高いまちづくりの痛いところ。
  
そんで、上にも書いたように、開発業者側がどんどん疲弊していくんです。
 
疲弊していくと、こんな住民参加なんてやってもしょうがないって意見の持ち主になっていってしまう。もう、適当に住民の意見聞いて、ある程度反映させてあげればよくね?みたいになってしまう。
 
そして、こういう経験をした人は別のまちづくりに関わった際に、住民参加で進めることに消極的になるでしょう。住民参加なんて所詮言い訳づくりっしょ?みたいになります。
 
そして、結果的に、住民参加するとしても、「なあなあに済ませて、基本は開発業者でどんどん進めてしまおう」といったことになるんです。
 
要望をとりあえず聞いて、それをある程度反映させて、終わり。みたいな。
 
 
 

住民参加の趣旨からどんどん外れてない?

土地利用における住民参加の趣旨って、本来は、計画の上流の段階から、住民に関わってもらい、そこの土地に建てられる建物に愛着を持ってもらう。ゆくゆくのエリアマネジメントを担ってもらう。とかそういうところにあると思うんですが、
 
要望を聞く→それを反映させる
 
こうなってくると、その趣旨は達成できません。
 
これでは、単なる客とサービス提供者の関係でしかないんです。
 
こうなってくると、基本衰退傾向にある立地の悪い地域は、衰退する一方です。
 
衰退傾向にある土地に対してはどうしたって、行政も開発業者もそこまでの抜本的な投資ができない。だからこそ、住民の力が必要なのですが、これだと、ハコモノ建てて終わるっていう、従来型のまちづくりと同じ道を歩むだけです。
 
鶏が先か、卵が先かという議論はあると思いますが、行政や開発業者のなかで、住民参加に否定的な意見を示す人や、やりたがらない人は、こういう何に対しても否定的な人を相手してきている経験が少なからずある。
 
そして、それは結果的に将来的なまちづくりにおいて、住民自体が損している場合もあるのです。
 
 
 

衰退する地域はどうしたって住民で頑張らないといけないことがある

自分で汗水も流さず、金も出さず、言いたいことを言い、それがある程度反映されるという経験をした住民は、その後その土地や建物を愛着持って使ってくれるでしょうか?
 
あまりよく知らない人から無料でもらったものをいつまでも大切にするなんて人、なかなかいませんよね?
 
だからこそ、計画の段階で、がっつりと覚悟を持って住民の方にも参加し、汗水流してほしい。
 
そして、ただ文句を言うのではなく、建った後もそこを大事に使うなり、そこを起点として活動をするなり、地域により愛着を持つなりしてほしいし、そのために住民としてどうしていけば良いのかということを建物の計画時点から議論していってほしいのです。
 
これが住民参加をやる意味なんです。
  
けど、「お前らは悪い!」病に罹っている一定程度の人によって、住民参加の本当の趣旨が遂行しづらくなっている。
 
 
 
長くなりましけど、これって今のテレビ業界と同じ状況に陥ってない?
 
テレビ番組の作成予算は基本的に不況の煽りを受けて、減少傾向。
 
そのため、色々なアイディアで番組を面白くしていかないといけない。けどテレビが普及して50年以上経っている昨今においては、割とグレーゾーンを攻めないと面白いもんができないこともある。
 
けど、不謹慎と叩く人たちが一定程度いることで、スポンサーからも保守的な意見を言われ、芸能人も好感度を気にした行動をとり、そして番組がつまらなくなる。
 
番組制作者側も世間のバッシングに疲弊して、もう頑張るのよくない?という人がどんどん出てくる。
 
そして、より番組が面白くなくなる。
 
結果として、視聴者である我々が面白いもんを享受できなくなる。
 
 
 
★★★
 
何でもかんでも、バッシングや否定する人は、その人なりの正義に基づいて行動しているのだろう。
 
けど、否定ばかりをしているだけでは、何も生まれない、始まらない。そして色々なもんが規制され、消極的になり、つまらない社会ができあがる。
 
そこんとこ、どう考えるのでしょうか?
 
 
ここまで!
おしまい!