設計事務所で働いていると、どんなに夢を語ろうにも発注者の予算や熱意がないと何もできないことがある。
これを嫌というほど、経験してきました。
こういう経験を多く繰り返していると自分が思う「まちづくり」を好き勝手にやりたくなります。
「まちづくり」というと、とても規模の大きいことに感じますが、
別に自分がやりたいお店を開き、その場を活用して何かやるだけでも良いんです。
自宅の一部を開放するってだけでも良い。
自分がまちに対して、直に何かをしているという感覚を得たいのです。
コンサルをやっていると、色々な提案はできるんだけど、結局本当に実現したかった提案は却下され、「様々な」方々の意見を尊重した、当たり障りのない案に落ち着いてしまうことが多い。
違うんです!いろいろな意見を聞くことは大事かもしれない。その中から何を取捨選択し、何に尖鋭させていくか?それを決めるのが、あなた方の仕事であり、我々がバックアップすべきことなんです。なんでもかんでも意見を取り入れて、誰からも不満の出ないような形にするのが仕事ではないんです。てか、そんなのつまらんでしょ?
そんなぼくの熱い想いは伝わることもたまにありますが、伝わらないことの方が圧倒的に多い。
そして、「ぼくが」本当にそのまちがこうなったら良いな!って思う方向とは程遠い方向に向かっていってしまう。
もちろん、自分の提案力のなさという実力の面での問題もあります。けどここでは、そんなん棚上げです。
少しでも良いから、ぼくが思う、「このまちがこうなったら良いな!」というまちに対して直に何かするという感覚。
こういう感覚を得たいのです。
とてもエゴイスティックなことを言っているとも思います。まちづくりの主流が住民参加に移っていることも承知しています。
けど、時に「ここは社会主義国か何か?」って思う時が多々あります。「みんなが」、「多世代が」は聞き飽きました。
「高齢者が」、「子育て世帯を」?
おいおい、一括りにまとめんな!
たまには「俺らが」勝手に良いと思うこと、面白いと思うこと、そういうことやってこーぜ!って思うんですよ。これが。
と言っても、大きな規模のことを考えられたり、夢を語れたり、ひたすら現実的な落とし所を痛感させられたり、様々なまちのプロジェクトに関われたり、コンサルでしかやれないことや感じられない点、学ぶべき点があることも事実。
理想を言えば二足の草鞋を履いていきたいとも思う。
流行りの二刀流です。大谷キュン!
ということで、ぼくは自分なりに思う手法でまちに対して、「何か取組み」を行っていきたいと思っている。
そして、その経験を通して、実感のこもったコンサルティングもできたら、なお最高!
その「何か取組み」というのものは、ぼくの中で段々確固たるものが出始めていますが、それについてはまた別の機会に。
おしまい!
ではっ!