ものまちぐらし

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設計事務所で働く、都市計画コンサルタント兼一級建築士。まちづくりのことや激務の中でのちょっとした生活の楽しみについて書いてます。

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『失敗の本質』で学ぶまちづくりにおける失敗の本質

木下斉さんがおすすめしていた「失敗の本質」を読んでみた。
「まちづくり・失敗の本質」

 

木下さんがまとめているように、まちづくりに関わる人には是非一読してもらいたい一冊。

 

とても思い当たる節があるし、まちづくりを行っていく上では教訓にある一冊です。

 

今回は、僕なりにこの本を読んだ感想をまとめました。

 

この本は、ミッドウェー戦やガダルカナル戦、ノモンハン事件など歴史的にも有名な大戦前後の戦闘を振り返り、なぜ大戦中の日本は戦略を見誤ったのか。その本質を歴史研究家だけでなく、経営学をはじめとして組織論等に関する研究家があつまり、まとめたものです。

 

これを読むと、「あるある」と思ってしまい、今も昔も何も変わっていないのだなーと、あってはならない既視感のようなものを感じます。

 

具体的な戦闘の経緯や内容については本書に譲るとして、ここでは本書に類型化されていた失敗の本質の中から、思わず「ギクッ」とした本質をまとめます。

 

グランド・デザインの欠如

グランド・デザイン、本書では戦争の目的や目標が当時は軍の中で非常に曖昧になっていた、と書かれてありました。

 

作戦目的の多義性、不明確性を生む最大の要因は、ここの作成を有機的に結合し、戦争全体をできるだけ有利なうちに集結させるグランド・デザインが欠如していたことはいうまでもないだろう。その結果、日本軍の戦略目的は相対的にみて曖昧になった。

 

出典;失敗の本質

 

これ、まちづくりにおいても一緒ですよね。まちづくりでは、色々な主体が関わるけど、その主体間で目的や目標が統一されているかといったら、中々そうはいかない。

 

むしろ各者色々な思惑を持って、何だかなあなあでプロジェクトが進んでいることもあります。

 

それぞれの主体にそれぞれの思惑があるのは、まあ致し方ないのだけど、何かひとつ共通の目的をしっかり可視化することって、当たり前なんだけど意外や意外できていない気がする。いやプロジェクト当初に共通の目的は掲げるものだけど、時間が経つに連れ、次第にその目的がそれぞれの主体でてんでバラバラになってしまうことがあるような。。。

 

とにかく、それぞれの主体間で、共通の確固たる目的というものは、しっかりと共有化させておくこと。これはまちづくりにおいてもとても大事なことです。

 

短期決戦の戦略思考

日本軍の戦略思考は短期的性格が強かった。日米戦自体、緒戦において勝利し、南方の資源地帯を確保して長期戦に持ち込めば、米国は繊維を喪失し、その結果として講和が獲得できるというような路線を漠然と考えていたのである。・・・・・(中略)・・・・・また万一にも負けた場合にはどうなるのかは真面目に検討されたわけではなかった。

 

出典;失敗の本質

 

まちづくりって終わりがないんですよ。建物つくって終わりではないんです。

 

けど、地域活性化だとかいって駅前再開発とかで、どデカイものを建てみたり、ゆるキャラをひとまずつくってみたり、B級グルメをなんの脈絡もなく押し出してみたりと、つくって終わりの方策がとにかくまちづくりには多い。

 

駅前再開発後のそこに住む人と以前から住んでいる人のコミュニティ形成やエリアマネジメントはどうするのか?

 

ゆるキャラをつくって、その後どのように地域をPRするのか?他のゆるキャラが多数いるなかで、どのようにそれらのゆるキャラを差し置いてPRにつなげるのか?

 

基本的にあまり考えていません。というか考えないようにしている?

 

そして、その一発芸みたいな方策を実現した後に、仮に効果が芳しくない場合、その明らかな失敗を見て見ぬフリをする。そりゃ、つくっている前に真面目に失敗した場合にどうするかの検討はしていませんから。そんなことが多い。

 

駅前再開発もゆるキャラも否定するわけではないです。ただ、流れに乗ってつくって、それで終わりではありません。つくられた建物やゆるキャラをどう使っていくか?そして、つくってみたものの失敗することもあるかもしれません。その場合どうするか?については、事前に考えておいて方がよいのですが、、、本当、大戦期とあまり変わってない。

 

主観的で「帰納的」な戦略策定―空気の支配

 日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくというよりは、多分に情緒や空気が支配する傾向がなきにしもあらずであった。これはおそらく科学的思考が、組織の思考のクセとして共有されるまでには至っていなかったことと関係があるだろう。

 出典:失敗の本質

 

まちづくりにも情緒的な何かに方向性を左右されることが、結構あります。

 

例えば本来、こんなところにホテルなんて持ってきても成り立たないだろうって立地に、ホテルを誘致しようとしたり、こんなところに大型スーパーを持ってきても成り立たないだろうって立地にスーパーを誘致しようとしたり、、、住民のなかの声の大きな人(地権者や商会長とか)の意見に左右されて、そのまままちづくりが進んでしまうようなこと、結構あります。

 

結論が主観的に決定された後に、それを帰納的に戦略決定するため、論理性などはかけらもない、つまりどんだけ努力しても勝てない構造で戦うことを強いられたりする。まちなかに映画館がないから活性化しない、みたいな話が進んでいってしまい、いつのまにか「映画館があれば活性化する」という主観的な意見をもとにして補助金などをかき集めてまちなかに中途半端な規模のシネコンを作ってしまったりする。

出典:経営からの地域再生・都市再生 [木下斉]

 

明らかに無理だろうって、機能誘致も行政がやろうと思ったら、補助金などなどをかき集めて意外とできてしまうときってあるんですよ。結果できてしまったものがその後どうなるかについては火を見るよりも明らかです。

 

例えば、ホテルを誘致しようにも情緒的、主観的な判断ではなく、その行政の観光施策や企業誘致等と合わせて総合的に戦略的に議論されるべきすが、なぜかとても情緒的な何かによっていつの間にか進んでたりするんですよね。。。

 

 

戦略論の概念のほとんどは海外の輸入で、しかも概念をしっかりと咀嚼していなかった

近代戦に関する戦略論の概念も、ほとんど英・米・独からの輸入であった。もっとも、概念を外国から取り入れること自体に問題があるわけではない。問題はそうした概念を十分に咀嚼し、自らのものとするように努めなかったことであり、さらにそのなかから新しい概念の創造へ向かう方向性が欠けていた点にある。 

出典:失敗の本質

 

まちづくりの事例収集と一緒。

 

基本的にまちづくりを進めるうえで、事例収集は必須。なぜなら多くの行政・企業が前例主義だから。

 

まあ、新しいことを行うにしても、似たような事例に習う姿勢は大事だと思います。けど、大抵がその事例の上っ面の部分だけをマネて失敗するということが往往にしてあります。一方で、多くの事例はその事例の主立った関係者があまり情報を公開していないために、上っ面しか調べられないためにそうなってしまうという構造的な問題もあります。

 

上にも例で挙げた、ゆるキャラB級グルメなんてまさにそれですよね。上っ面マネて失敗するっていう。

 

人的ネットワーク偏重の組織構造

組織とメンバーとの共生を志向するために、人間と人間との間の関係(対人関係)それ自体が最も価値あるものとされるという「日本的集団主義」に立脚していると考えられるのである。そこで重視されるのは、組織目標と目標達成手段の合理的、体系的な形成・選択よりも、組織メンバー間の「間柄」に対する配慮である。

出典:失敗の本質

 

あってはならないけど、現実的にまちづくりを行っていく上では、いかにその街を活性化させていくかという論理的かつ戦略的な思考、意見よりも関係主体間の人間関係の方が重視されることが多々あります。

 

この人間関係を尊重しすぎるとどうなるかというと、「あの人も意見も取り入れないと」、「この人の意見も取り入れないと」を繰り返し、結果として色々な人の意見を取り入れ、よくわからない、平凡なものに収束してしまうことが多い。

 

こうすれば、みんなの意見を取り入れたんだから、あとは文句を言わないでよね?と言い訳できるという利点があります。というかそのくらいの利点しかありません。

 

色々な人の意見を聞くことは大事だと思いますが、色々な意見を聞いたうえで時には、強い意思を持って、個人が思うものをどんどん進めていくこともあるのかなーと思います。武雄市の蔦屋図書館なんてのも、市長の強い意思によって進められたものですよね。

 

学習を軽視した組織

失敗した戦法、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し、それを組織の他の部分へも伝播していくということは驚くほど実行されなかった。

 

日本軍のなかでは自由闊達な議論が許容されることがなかったため、情報が個人や少数の人的ネットワーク内部にとどまり、組織全体で知識や経験が伝達され、共有されることが少なかった。作戦をたてるエリート参謀は、現場から物理的にも、また心理的にも遠く離れており、現場の状況をよく知る者の意見が取り入れられなかった。

 

出典:失敗の本質

 

これ全国的にそうなんですが、まちづくりの事例って積み上がっているようで、全然積み上がってないんですよね。

 

例えば、駅前を再開発しました。はい、それでおしまい!

 

ということにはせずに、開発経緯、目的、利益、まちの変遷履歴、人口動向や税収、売上、開発にあたって行った都市計画の変更履歴等、様々な観点からビックデータ化をすることを、どのまちもするようになれば、もっと論理的にまちづくりって進められるようにも思うんですよ。

 

一応、まちづくりの事例って色々なところでまとめられたりはするんですが、何かざっくりなんですよね。恣意的というか、根拠がないというか、数値的に表されてないというか、同じ軸でまとめられてないというか、、、まあ、ざっくりなんすよ。

 

あと個別の事例がただ並べてあるだけで、相関関係というか、数多くある事例を統合して最適なまちづくりの解みたいなのは出てない。

 

そりゃそうだ、って感じですが、これもっと同じ軸で、数値で表せることは表して全国の事例を集めまくったら、最適とまではいかないかもしれませんが、有用なまちづくりの事例として色々と活かせると思うんです。

 

なぜそういうデータベースがないかというと、まずそこまでデータとして残していない、残すのが面倒というのが1点。また、金目のことなんかは基本的に公表できない、したくないというのがもう1点。

 

その情報を見るのを有料制にするとか、なんとかすれば、ビックデータ化みたいなこともできる気がするんですけどねー

 

 

<事例まとめサイト例>

●がんばる商店街77選(中小企業庁)

●商店街活性化事例レポート(全国商店街支援センター)

●まちづくり事例の宝庫(中心市街地活性化協議会支援センター)

 

 

 

★★★

まちづくりを行う上では、まず何をつくるか?ということよりも、まちづくりを行う組織の構造や意思決定プロセス等、そもそものところから改善した方が良いのでは?ということって結構あります。

 

この本を読んで、是非組織改革からはかっていって欲しいものです!

 

失敗の本質、ぜひ読んでみてください!