ものまちぐらし

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設計事務所で働く、都市計画コンサルタント兼一級建築士。まちづくりのことや激務の中でのちょっとした生活の楽しみについて書いてます。

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予定調和で終わる住民参加のまちづくり

前回は住民参加のまちづくり参加者という視点でオワコン化していると書きましたが、住民参加のまちづくりは大抵が予定調和で終わります。

 

そういう意味でも予定調和ならやらなくなて良くない?オワコン化してない?と思ってしまいます。

 

予定調和の住民参加とは?

予定調和とはどういうことか?

 

通常、ゴールのイメージを予め持っておいて住民参加を行うことが基本なので、あとはそこに向けてどう議論を誘導していくかが重要になります。そういう意味で予定調和ということです。

 

住民参加を行うことで予期せぬ事態は起こることもありますが、それでゴールのイメージが変わることは、ほとんどありません。

 

というか、最初のゴールイメージは、ガチガチに固めておくのではなく、ある程度泳ぎしろを残しておくことを大抵はしています。

 

その泳ぎしろ部分に住民参加で得た結論をプラスαして、あたかも住民の意見を踏まえてつくったかのようにするので、主催側の予定調和で終わります。

 

くやしいー!

 

例えば、ある未利用地の活用について住民参加を行い、例えばマスタープランや地区計画、土地利用などを考えていくことをするとしましょう。

 

主催側としては、この土地は医療や福祉施設を誘致したい(というか、そのくらいしか事業の芽がない)と考えていても、住民の一部からは商業施設が欲しい!といった意見が出るとします。

 

こうなると、恐らく商業施設のイメージを掘り下げていくことをするでしょう。商業施設といってもどんなものなのか?コンビニ?スーパー?デパート?それともカフェやレストラン?レジャー施設?

 

イメージを掘り下げていくと、夢のようなことを言う人から、ネガティヴにそんな大層なものを建てられんということでただただ現実的な意見をいう人と様々います。

 

イメージが掘り下げ終わったら、その土地の規模や場所として明らかにミスマッチな用途は除外されるでしょう。

 

そして、「皆さんの意見としては、みんなが集まれるようなカフェが欲しいんですね?では、医療・福祉施設の中にそういった地域に解放されたカフェを設けてもらいしょう」みたいなことになるんです。商業施設がちょっとしたカフェというものに置き換えられ、結局は主催者側が意図していたものをつくることになるんです。

 

乱暴に書きましたが、実際にはもう少し丁寧に丁寧に少しずつ掘り下げて、意見を集約させ、地域の課題等も共有して、上のような結論に至るとは思いますが、要約するとこんな感じです。

 

ここまででの議論でも数ヶ月、ひどいと1年以上かかることもあり、結構時間がかかります。

 

もっと生産的に、効率的に、やらなくて良いことはやらない、つぎ込むべきところにはつぎ込む。

それでも、住民参加を通して住民の意見が反映された施設が仮にできたら、それはそれで、そこに参加した住民にとってはとても愛着のある施設になることでしょうし、俗に言うシビックプライド(自分のまちに誇り)を持つうえでも重要かもしれません。

 

けどね、そういった誇りを持つのは結局参加している高齢者なんです。

 

どのまちも高齢化に悩まされ、若者を流入させたい、させたいと行政は言うのに、高齢者のシビックプライドを醸成してどうするんですか?というか高齢者は既にシビックプライド持ってると思うんですよ。

 

もうそこに長いこと暮らしている人ばかりでしょ?


これが藤村龍至が行っているような、建てる施設、用途は決まっていて、デザインを住民で決めていくことや住民主体のソフト的な地域活性化に資する活動の取り組みについて議論するのであれば、意味があると思うんですよ。

 

前者はただ設計者の自己主張、押し付けのようなデザインではなくなり、設計者も思いもよらないデザインになるかもしれない。後者はハードなんてもうつくれず、そこに住む人たちでどうにかしていかなければならない地域なら住民参加を通して主体的に活動してもらわざるを得ない。

 

でも、こういったマスタープランとか土地利用、要は本来鷹の目で見て決めていくべき事柄は時間かけて住民参加なんてやる意味はないと思ってます。

 

住民参加を通して言い訳をつくっているようにしか見えないし、意見収集するにしてもtwitterfacebookとかで良いよ。本当。

 

てか、そうやって色々と意見を集約させていくと、結局のところ平均的な解に落ち着くんだよね。

 

もっと強い個で、ワガママに突き進んだって良いと思う。武雄市の蔦屋図書館もそういう意味で良い例。


まちづくりは本当に時間のかかることです。世の言う効率化とかの概念が当てはまらないことも多々あるでしょう。

 

でも、その一方でやらなくて良いような検討や調査もたくさんしてる。

 

上述の例は、あまりやらなくて良い例。マスタープランや土地利用は鷹の目で主催側が、決断と行動力を持って、自分たちで早期に決め、さっさと実行に移すことにお金と時間をかけませんか?

 

ではでは。