ものまちぐらし

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設計事務所で働く、都市計画コンサルタント兼一級建築士。まちづくりのことや激務の中でのちょっとした生活の楽しみについて書いてます。

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デジタルに頼りすぎて自然と人間の基礎能力が落ちる、東京での暮らし

東京に暮らして10年が経とうとしている。

 

この10年暮らしてみて思うんだけども、東京にいるとデジタルに頼りっぱなしだ。

 

10年で技術が進歩したんじゃないの?と思われるかもしれないけど、違う。東京にいるからデジタルに頼ってしまうのだ。全部東京のせい。


よくよく考えてみると、

 

東京の満員電車でも本が読みやすいように、電子書籍を買う

東京には飲食店がありすぎて、選びきれないから食べログで検索する

東京には路線が多すぎて、どれ乗ったら良いかわからないからスマホで検索する

 

東京には色々なところがありすぎて、どこ行けば良いかわからないからネットで評判、行き方などなどを検索する

 

ほら、なんだか東京のせいでデジタルに頼っている気がする。

 

東京は何でもあるし、人も多い。とても密すぎる。それが刺激的で面白い反面、何だか人間としての基礎能力がどんどんと落ちていっている気がするのだ。


先日、東北へ出張をした際、現地の電車に乗っているときに、一切スマホをいじらなかった。

 

人が疎らで、とてもゆったりとした車内では、自然と外の風景の移り変わりを見ながら、色々と考え事が捗ったからだ。

 

これ、東京だったら人が多すぎて全く落ち着かないから電子書籍読むなり、FacebookTwitterに勤しんだりしてしまうよ。情報ばかり取り入れて、考え事をする時間が全くとれない。考える力って人間にとって大事な基礎能力。けれどもその基礎能力を使う機会がなかなかとれない。


これまた、東北に行った際、ランチを食べようとして、いつものように食べログで検索してみたものの、評価をつけられているお店がそもそも少なく、点数が表示されないお店が山のように出た。

 

仕方がなく、適当に歩いてフィーリングでお店に入ったら、運が良かったことに、とても美味しい昼ごはんを食べることができた。

 

このフィーリング、つまりは第六感的なもの。これも東京にいると研ぎ澄まされない。デジタルに頼ってしまうからだ。第六感よりも食べログの点数の方があてになるからね。

 

でも、田舎だと食べログの点数よりも第六感の方があてになったりする。そもそも田舎の店では、レビューする人が少なくて、店数があてにならないから。


こうして考えると、やっぱり東京に住んでいるとデジタルに頼ってしまうなーと思う。

 

いちいち努力しないと人間としての基礎能力がどんどんと落ちていってしまう。

 

そんなことを、考えブログというデジタルツールをつかって考え事をしている。