実感の欠落。
筆者が述べるこの言葉にはとても共感させられた。
様々な仕事に分業化されているのは、何も建築・まちづくり業界だけではないと思うけど、まあこの業界はよく分業化されている。
①土地を取得する人
②計画、企画する人
③設計する人(設計する人の中にも基本設計する人と実施設計する人がいる)
④施工する人
⑤運営する人
⑥そもそも、その土地の用途制限や規制を設ける人
⑦もっと言えば、建物をつくるにあたっての基準をつくる人
ざっくりと書いたけど、とにかくたくさんいる。そして完成まで時間がかかる。建築単体で見たときには竣工が完成なんだろうけど、まちづくりってそもそも完成っていつなんだ?
こう分業化されすぎていると、まちづくりに関わっている意識が正直薄れていく。特に僕は②計画するところや⑥、⑦のそもそもってところに関わることが多いんだけど、そこから何か形となって現れるまで、ものすごい時間がかかる。
3、4年ではとてもできなかったりする。10年くらいでようやく形になるものが1つ、2つ。。。くらいだったりする。
自分が計画したものが忘れた頃に実現されるのだ。しかも本来の意図とは異なった形で実現されることもちらほら。
そんな背景もあってか、筆者の言う「実感の欠落」がとても心に刺さった。
建築系の人はナリワイをたくさん持つべきだ。
①土地の取得や⑥、⑦のそもそもの規制をつくる仕事はナリワイになりにくいところだろうけど、②〜⑤くらいはナリワイになりそうなことなんていくらでもある。
分業化されすぎていて、実感が欠落していたり、反対に勝手に自己満足してしまっている人もこの業界にはとても多い。
上述したそれぞれの段階でナリワイをつくることによって、普段仕事はできない段階の経験する。そして様々な段階での経験を経た人が、この業界に増えたら。。。と思うと、少し面白いものができそう。
そういうことを考え、仕事以外で何かしたくて仕方がないのだ。