ものまちぐらし

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設計事務所で働く、都市計画コンサルタント兼一級建築士。まちづくりのことや激務の中でのちょっとした生活の楽しみについて書いてます。

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物事は簡単に語るべきか、難しく語るべきか?〜なぜ私は「建築」をやらないか? 「建築」をやるか? ― 嶋田洋平×藤村龍至〜

この対談、本人たちは対決と称していたけど、とても面白かった。たぶん建築クラスタにとっては、とても興味深い内容を話し合っているように思う。

 

 

 

これを聞いてみて、個人的には、嶋田さんの言うことに基本的に同感し、藤村さんが言うことに刺激を受けたという感じ。

 

そして、個人的に気になった論点が2つあった。

 

1つは、「ある事項について建築家は簡単に語るべきか、難しく語るべきか」

もう1つは「上位計画は必要か否か」である。

 

本当はこの2つの論点についてこの記事で書こうと思っていたけど、書いていたら長くなりすぎてしまったので、本記事では「ある事項について建築家は簡単に語るべきか、難しく語るべきか」について思ったことをまとめようと思う。

 

自分たちは特別と思っていて、周囲から閉じられている建築クラスタ

この論点に対する2人の立場を言えば、嶋田さんは「簡単に語るべき」、藤村さんは「難しく語べき」であった。

 

基本、嶋田さんの意見に同感していた僕は、つまり藤村さん曰くリノベ派の僕は、「簡単に語ろう」よ。といつも思っていた。

 

兎にも角にも、建築家という人種は言っていることが難しすぎる。馴染みのない横文字ばかり使い、一般人を置いてけぼりにする。

 

このパターンを何度見たことか。

 

正直、自分でつくったものを必死で後付け理論武装して自分の作品をそれらしく見せているようにしか思えない時もある。

 

だから、簡単に物事が語られがちなインテリアという分野には広く興味が持たれるけど、建築ってのは、建築を学んだものだけに比較的閉じられがち。

 

これは、大学にいる時から建築学科ってのはそういうところがあると思っていて、「俺たち特別!!てへっ///」みたいな感じをかなり出して、他の学科から閉じているところがある。

 

建築クラスタの発言が重視されない世の中

けど、社会に出て、建築やまちづくりに携わっている人って実は建築クラスタではない人が多くて、建築を学んでいる人は少数派だったりする。

 

ずっと閉じられた中で育ってきた建築クラスタは、というより、自分たちで勝手に閉じていた彼らは、建築の世界外の人たちとコミュニケーションをとる力が圧倒的に不足しているような気がする。

 

だからか、クライアント側って建築畑側の意見をあまり重視しない人が多いように思う。難しいこと言って理想論ばかり振り回して現実を見ないちょっと面倒臭い人。そんな風に思われてしまうことも多々あると思う。

 

また、「話を簡単に!」という論点から少しずれるけど、話が小難しい以外にも、嶋田さんが言うようにマーケット的なことも含めて提案できるようにならないと建築クラスタってのは、クライアントから意見を重要視されないし、衰退の一途を辿っていくような気がする。

 

そのためには、建築家は建物が建てられた後の収益の何%かを設計料としてもらうようにするってことにしていかないといけないといった意見には全くもってその通りだと思った。

 

これは、今の建築業界に対してかなり厳しい提言だと思う。だって、今は完全に建築家はつくって終わりのいわば作り逃げのところがあるなかで、自分たちでつくった建物、計画したものに責任を持ちなさい!ということなんだもの。これは怖い!

 

ただ、こうでもしないと建築クラスタの言うことはいつだって本気で相手にされない。本当そう思う。

 

話を簡単に!が陥る罠

一方で藤村さんの意見は、「簡単なことを言っていると、次第につくるものまで、簡単になる」ということ。

 

これについては、「簡単に語ろう」と思っている側としては、かなり意識しないといけないことだと思った。

 

言語は実現するじゃないけど、ネガティヴなことばかり言っているとネガティヴになってしまうし、簡単なことばかり言っていると簡単な人間になってしまう。

 

藤村さんは、議論の中で仕切りにリノベ派と括って、わざと煽っていたような気があったけど、別にリノベーションや嶋田さんが行っている取組みを否定しているのではなく、あまりに簡単に語りすぎていると、ただの一過性の運動になってしまって、持続していかないといったことを言いたかったようだった。

 

これは、一発芸人がキャッチーでウィットに富んだギャグで一世を風靡するけど、結局廃れてしまうことと同じで、結局はコントや漫才としてよく練られていて、奥が深いものをお茶の間に届けている芸人の方が長続きするのと一緒で建築家としてもそうなのではないか、ということ。(だと、僕は受け取った)

 

もちろん藤村さんは嶋田さんを別に一発芸人として見ているわけではなく、そうなってほしくないという警告を発したんだと思うし、僕個人としても結構ギクッときたことなので、気をつけたいと思った。

 

それでも建築家が語る話は簡単な方が良いと思う!

藤村さんの話を聞き、気をつけたいと思った上で、それでも思うのは簡単に語れることは大事なのでは?ということ。

 

お笑いで一度喩えてしまったので、一貫してお笑いで喩えてみる。お笑いで喩えてしまうというのが何とも僕のレベルの程度が知れるというもんだけど、この喩えが自分的にしっくりきてしまったのだからしょうがない。

 

今の建築家の多くは(嶋田さんが言うところの言っていることがよくわからない建築家ってのは)、お笑いで言うところの松本人志が映画作っちゃった。みたいなところがあるのだと思う。

 

大日本人」とか、「しんぼる」とか、松本人志がつくる映画を素晴らしい!面白い!という人は僕が知る限りでは極めてマイノリティーのように思う。一般人から見たらなんのこっちゃ?って感じ。あまり笑えなかったりする。

 

好き嫌いはあるものの、松本人志が実力のある芸人、芸能界でもトップクラスであることは、周知の事実。そういう確固たる地位を築いた上で、あのような映画を作ったからよかったものの、あの映画を無名の人がつくったら、全く笑えないし、流行らないと思う。

 

けど、お笑いは今、かなりの市民権を得ているし、テレビをつければ必ずお笑い芸人が出ていたりする。昔はここまでたくさんのお笑い芸人がテレビに出てくることなんてなかったのではないだろうか?

 

これは、キャッチーでウィットに富んだギャグやお茶の間に届けやすい短く、シンプルで即効性のある、簡単なコントを行っている芸人達の力が大きいと思うのだ。

 

何が言いたいかというと、簡単なお笑いを届けてきた芸人達がお笑いの市民権を勝ち取ってきたように、物事を「簡単に語る」建築家というのは、建築が市民権を得ていくためには必要だということ。

 

本来、建築ってのは誰でもできること、興味があることであったし、生物である以上、自分の巣は自分でつくれる本能が備わっていると思う。これらを呼び覚まし、もっと建築や自分が住むまちというものに興味を持ってもらうためには、建築クラスタ以外の人たちにいかに届ける言葉を持つか。これが重要だと思う。

 

ただ、藤村さんのご指摘はごもっともだし、簡単のように見えるけど、実はかなり緻密に考えられた理論のもとつくられているコントの方が面白いように、簡単なことを語る前に、かなり考え抜くことが必要なのだろう。

 

考え抜くことで、その建築や計画、提案に深みが出てくるってもんだし、簡単に述べてもなんだか説得力が出てくる。

 

こういったことを肝に銘じ、これからも建築やまちづくりに関わっていきたいと思った。

 

小難しく書かれている藤村さんの本

 

 

簡単に書かれてある嶋田さんの本