ものまちぐらし

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設計事務所で働く、都市計画コンサルタント兼一級建築士。まちづくりのことや激務の中でのちょっとした生活の楽しみについて書いてます。

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コミュニティに対する期待のベクトルを変えよう!コミュニティの本当の効能とは?

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「コミュニティ」

 

様々なところでよく聞くこの言葉。

 

行政による上位計画の中やまちづくりのテーマの一部、デベロッパーによる住宅建設・建替えの一部、様々なところに「コミュニティ」という言葉が蔓延っている。一時代を築いた「環境」というテーマに次ぐよく聞くまちづくりのテーマとなっています。

 

っていうのは、行政やデベロッパー等、まちづくりにおける川上の人たちはどこかコミュニティに幻想を抱いているかもしくは幻滅している人が多いんですよね。

 

幻想している人は、あわよくばコミュニティ形成が、隣近所の支え合い、ひいては高齢者の見守りや子育ての支援に繋がるとでも思っている。

 

一方で、幻滅している人もいて、そういう人は事業収支的な面で、難しいと思っている。要は、コミュニティづくりとかって金にならねぇじゃん?と考えている。まちづくりのテーマに掲げはしても、掲げるだけで、コミュニティ形成を真面目にやろうと考えているかというと、気持ちとしてはとても消極的。

 

けど、両者ともにコミュニティに対する見方ってのは、同じなんですよね。コミュニティ形成と地域課題の解決をつなげて見ている。それが解決できるものだと考えていようと、考えていなかろうと、「コミュニティ=地域課題の解決手法のひとつ」として見ているという点で、コミュニティ対する見方が同じ。

 

それは僕もいつもそう思う。コミュニティ形成を通して色々なことが起こせないかって。ただ、ちょっと待てよと。

 

コミュニティに対するこの見方ってのは、一律だけど、他にも見方があるんじゃない?って最近になって思うんです。

 

 

 

 コミュニティってそもそも何だろう?

コミュニティって何だろうって考えた時に、たぶん一般的な人が真っ先に思いつくのは、「友達・先輩・後輩的な関係」だと思う。

 

んで、たとえば隣近所の人と仲良くなったとして、要は「友達・先輩・後輩的な関係」になったとして、その人の世話なんてしたいと思いますか?あるいは、世話されたいって思いますか?仲良くなった人だからこそ世話なんてしたくないし、世話なんてして欲しくないって思う人って結構いると思うんですよ。

 

だから、他人が他人の世話をする様々な高齢者福祉サービスが成り立っているわけで、今更隣近所のコミュニティを築いたってそんなことを期待するのは難しいような気がします。

 

 

これまではプライベートと仕事が密接だったからこそコミュニティはつくらざるを得なかった。 

昔は、プライベートと仕事場が近かった、密接だったから隣近所のコミュニティって大事だったと思うんです。

 

仕事においては頼らないといけない場面もあるし、コミュニティを築かないとその世界で過ごすことがとても苦痛になるから、穿った目でみると、コミュニティをつくらざるを得ない環境なんだよね。

 

ただ、今の時代って、仕事とその地域ってのは自営業でもない限り、全くもって無関係。

 

で、仕事以外のプライベートに目を向けると、新たにコミュニティをきずくほど、生活に不便していない、困っていない。逆に、隣近所、地域でコミュニティを築いてしまった方が苦痛になる事もあるかもしれない。そんなことを思ってしまう時代ですよね。

 

今までの血縁、地縁ってのはそこの土地と仕事が紐付いていたから、成り立っていたと思うんです。プライベートと仕事が密接だった。だからコミュニティを築くしかなかったとも言える気がします。

 

今までは生活と仕事が密接にくっついていたけど、今では地方出身者も地方都市や東京に出てきて、仕事に行ってしまうなど、土地と仕事は全く結びつかなくなっています。だから隣近所との関わりはそこまでなくても支障がなくなったんだと思うんです。

 

 

現代のコミュニティに対する考え方

けど、隣近所、地域って枠にとらわれなければ、自分の生活の中でコミュニティを築くってことはまだまだ生活の中にあるんですよね。

 

SNSなんかも一種のコミュニティづくりだよね。ただ、そのコミュニティづくりってとても安易なもの。簡単。簡単だからこそすぐになくなりやすいし、つくりやすい。

 

こんな時代の中、隣近所のコミュニティをつくって、高齢者の見守りや支え合い、子育て支援・・・

 

そんな面倒くさいお題目がついていたらコミュニティになんてつくる気が失せるよね。例えつくれたとしてもそれは献身的な誰かのボランティア精神によってきっと成り立っていて、なかなかサステナブルになり得ない。

 

じゃあ、やっぱりコミュニティなんて必要ないの?ってことになるかもしれないけど、コミュニティ自体は必要だと思うし、そう思いたい。ただ、それは地域課題の解決のためっていうか、もっと人間の根源として必要なもの。

 

地域課題の解決なんて、厳かな目的のものではなく、コミュニティ形成が一種の趣味と思ってもらえるような、そんな文化が形成できないかなって最近思うんです。

 

山登りが趣味です。みたいな。そんなのと同義。

 

高齢者の支え合い?見守り?そのためのコミュニティ?

 

いやいや、そんなんめんどい、めんどい。

 

「高齢者福祉・子育て支援・環境・省エネ・コミュニティ」ではなくて、「音楽・スポーツ・映画・読書・コミュニティ」みたいな。

 

こんな風に思えたのは、コミュニティづくりって実は相当楽しいもんなんだよね。って最近色々な人と出会って、すごく思えたから。

 

特に都会に住む恩恵って、よく色々な面白い場所があるとか、なんでも買えるとか、交通網が整っていて移動が便利だとか、そういうハードよりな恩恵ばかりに着目されがちだけど、色々な人がたくさん住んでいるってのが一番の恩恵だと思う。

 

学校や会社、家族。ずっと同じ世界に閉じこもっているより、ちょっとその世界から離れて、違う世界の人とつながること。

 

SNSでそういうのが簡単になったけど、実際に会ってみること。話してみること。これってすごく面白いことなんだよね。

 

こういう「コミュニティづくりが楽しい」と思えるような文化を今から社会でつくっていくことがまず大事なことのように思うんです。

 

で、それが結果的に巡り巡って、4,50年後には隣近所の支え合いが当たり前のようにできる社会になってるかもしれない。

 

 

最近はどんどん「コミュニティ」ってのが大層なもんのようになってきている気がしてならない。コミュニティが世界を救ってくれるみたいない。

 

そんなコミュニティって大層なもんではないよ。大層ではないけどすごく大切。人々の生活を彩り、豊かにするためにはすごく重要。

 

だから「音楽・スポーツ・映画・読書」こっちと同じジャンルなんだよ。コミュニティって。

 

最近そう思います。