以前書いた記事で、自分が楽しい、面白いと思えることを見つけるために、ぼくが考える方法について、書き連ねました。
ただね、自分が真に面白いと思えることって、結構面倒なことだったりすると思うんですよね。取っ掛かりは億劫というか。
今回はそう思う理由をぼくなりにまとめてみたいと思います。
ずっと面白いと思えるとか、ただの病気
ほんとこれ。
ずっと、四六時中面白いと思えることがある人とかただの病気ですよ。もう、依存症というか、ワーカホリックというか、、、
ずっと面白いと思えるもんなんて、なかなかないと思うし、むしろそれが普通だと思うんですよね。
だから、べつに面白いと本気で思えるものがないからといって、気にする必要はないんです。それが当たり前。
辛い、面倒くさい先に真の面白さがある
最近、ぼくは面倒なことの先に、きっと「面白い」があると思っています。
ただ、ただ面白いだけのものとは、きっと違う「面白さ」がきっとあるんだろうと思っています。
たとえば、ぼくに関係の深い、まちづくりの話をすると、「公共空間の利活用」なんてその1つ。
あれも、マルシェやら、公園で映画を見たりやら、その行為自体は一見楽しいように思えますが、実際はテントを設営したり、機材を運んだりと、面倒で地味なことばかりがあるんですよね。当たり前だけど。
なんでもない平日のナイトピクニック オトナリatたちかわ | Qetic
公園をまちのリビングに! ~パークキャラバン/アウトドア・リビングの可能性~ | ソトノバ | sotonoba.place
でも、その結果として、とっても面白い光景が出来上がるわけ。
面倒くさいことの先に、きっと素敵で、面白いものが待っているんだなーと最近思います。
宮崎駿もめんど臭いと思ってアニメをつくっている
こちらの記事をご覧ください。
宮崎駿の「めんどくさい」は、モチベーションの真髄 | サラリーマンからWEBフリーランスへ
もう、めんどい、めんどい言って宮崎駿さんもアニメをつくっていたりするんですよね。
でも、その先に、あんなに素敵なアニメーション映画ができるんです。
この「プロフェッショナル」で放送されていた、宮崎駿さんの回はぼくもリアルタイムで見ていましたが、宮崎さんはこんなことを言っていました。
「面倒くさいなあ」
「まことに面倒くさいよね」
「あー面倒くさい」
「面倒くせえぞ」
「何が面倒くさいって、究極に面倒くさいよね」
どんだけ、面倒くさいんだよ!笑 っていうね。
でも、こんなことをその後に言います。
「面倒くさくないとこで生きてると、面倒くさいのはうらやましいなと思うんです」
「世の中の大事なことって、たいてい面倒くさいんだよ」
「面倒くさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ」
「『面倒くさかったらやめれば?』『うるせえな』って、そういうことになる」
面倒くさいで終わらせないんですよね。
きっとその先に素敵なことが待っていることがわかっているから。
こんなことを思いつつ、しっかりと仕事をやりきるってところが巨匠の所以なんでしょう。実際わかっていても、なかなかできない。
でも、とても勇気がもらえる言葉ですよね!
★★★★★
ずっと楽しい!とか、ずっと面白い!なんて思えるもんなんてそうそうない。
でも、面倒くさいと思っていることの少し先を想像してみると、実はものすごく面白い世界が待っているのでは?なんて思うんです。
そして、その世界が、自分にとって「とてもワクワク」することであるならば、きっとそれはあなたにとって「本当に面白い」と思える仕事だったり、ことだったりするんだと思うんです。
ふと、そんなことを考えました。
それではっ!