ものまちぐらし

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設計事務所で働く、都市計画コンサルタント兼一級建築士。まちづくりのことや激務の中でのちょっとした生活の楽しみについて書いてます。

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まちづくりにおいて邪魔になるたくさんの人の「気持ち」

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誤解や批判を恐れずに言うのならば、まちづくりにおいて、時に人々の「気持ち」というのは、かなりの弊害になります。

 

まちづくりを行っていると、決して経済合理的に進むわけではなく、むしろこの「気持ち」というかなり人によって異なる主観的なもので進むことがあります。

 

様々な主体が持つ厄介な気持ち

この厄介となる「気持ち」ってのは、その事業や規模ごとによっても異なりますが、行政の担当者であったり、地元の有力地権者、自治会長、管理組合長などの声が大きい人を中心として様々な人が持つものです。

 

設計者やコンサルも果敢にその気持ちに攻め入り、改善を試みますが、中々太刀打ちできません。(この太刀打ちができないってのも様々な要因がありますが、今回の主旨ではないので、割愛)

 

では、この「気持ち」とは、具体的にどんなものなんでしょうか?

 

ほとんどの「気持ち」が外から見るとしょうもないもの

この「気持ち」が本気でまちを良くしようと思った上での気持ちであれば、全然めでたいことなのですが、そのほとんどがしょうもないことが多いです。はっきり言って訳ワカメです。

 

時にそれは、行政側の内部事情、慣習的なこと、前例主義的なことだったり、住民側のワガママとしか言いようのない論理性の全くない意見だったりします。

 

あまりにも論理的でない意見であれば、都市計画法建築基準法などを盾にとりさえすれば、解決しますが、大体が法的条件は満たしたワガママを言ってきます。

 

こうなってくるととても厄介です。

 

なかなか変えられない行政側の「気持ち」

また、最も腹が立つのが、行政側の慣習からくる「気持ち」

 

民間企業から見たら、全く理解できないような理論でまちづくりの進行を止めにかかってきます。

 

自らの自治体の前例になく、上に説明しにくいから

 

上位計画に位置づけがないから

住民からの反対意見が怖いから

 

などなど、色々な理由をつけてせっかくの良いデザイン、計画、システムなどを否定しかかってきます。

 

それが、経済的にでも何でも理にかなう意見であれば、提案側もそれなりに打開策を提示することもできます。

 

しかし、反対意見が最早理にかなうどころか、感情的、慣習的な意見を言われてしまっては、ほぼほぼどうしようもありません。高々、定期的に行う打合せで会う程度の仲では、人間の心、感情に影響なんて中々与えられません。

 

面ではなく点のまちづくり

行政側のこのような気持ちは、何もそこで働く人の資質に全ての問題があるわけではないと思っています。

 

失敗に不寛容な国民性、なぜか全体の1,2割の反対意見に弱く、民主主義の原理である多数決が機能していない時代の流れ、行政職員というよりこんなところにそもそもの問題があるような気がしてならないです。

 

若干数の反対意見にかなり左右されてしまい、結果としてとてもありふれた平均的なものに収束し、つまらないものが出来上がっていく。

 

そんなまちや建物は世の中に溢れかえっています。

 

もはや、大きな単位でまちづくりを行っていくと、色々な人の意見を聞かざるを得なく、全く事業が進まないか、つまらないものができてしまいます。

 

いかに、関係主体を少なくするか。仲良しズッコケ3人組とかでできるようなことを、次々に仕掛けていく方が本来的にまちのためになるのではないかと思います。

 

本当にまちの改革を行っていくためには、小単位で小さな点をつくるところからはじめることの方がかなり早く、まちを変えていけるのです。

 

点の集積によって面すらも変えていく。こういうことが多方で多発するような時代がくれば、きっと日本のまちは面白くなるはず!

 

そんなまちづくりがしたいものです。